天理教梅東分教会 

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【梅東】 H19-02 No.355 4 years ago
 二月、如月(きさらぎ)は、衣をさらに着更ねる月とも言われていますのに、暖冬の日々ですね。

 日本各地には、春夏秋冬、心響かせる数多くの行事があります。二月六日、南紀熊野地方に春を呼ぶ火祭り、神倉神社例大祭「お灯祭り」が斉行されました。二〇〇五年夏、世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である神倉山が舞台となり、当日は入山を許されるのは男子のみ。千四百年以上の歴史と伝統を誇るといわれ、白装束に荒縄を巻いた上り子(のぼりこ/あがりこ=祈願者)千九百五十三人が入山。ご神火を授かって燃え盛る松明(たいまつ)を片手に、山頂からふもとまで五百三十八段ある石段を駆け下ります。

 「お灯祭り」は熊野神の来臨を再現する神事。それぞれの家庭に神様の火を頂くという神迎えの喜びを味わいます。上り子達は神聖な神様の山に登る前に、禊(みそぎ)を行って身を清め、さらに白装束に身を包んで、腹には荒縄を巻きます。さらに、食べ物も白いものしか口にしません。心身を神様に捧げて、ご神体である「ごとびき岩」に抱かれながら、炎と煙にいぶされることで、魂が清められる、いわば神のエネルギーを授かる祭りです。(紀南新聞社記事)

 別紙には、「火にはすべてを燃やす力と、太陽のようにすべてを育てる生命力とがあり、古代より、この火への畏怖と恵みに感謝する心が示された祭り」とも記されています。

 夕勤め後、しばらくして私は、大教会四階からその山の方向をじっと眺めていました。雨が降らない夜空は、赤い帯状が長く長く走り、まさに新宮節にうたわれている「山は火の滝、下り竜」の光景です。

 火・水・風のご守護を頂いて、この世に生かされている私達です。「火(日・ぬくもり)」の徳性を生かして、優しく包む心、澄んだ水のような心、優しい言葉(息)をかけられるよう、努力の日々を通りたいと念じます。
【梅東】 H19-01 No.354 5 years ago
 新しい年が始まり、心新たな思いで一歩踏み出されたことと思います。
振り返れば、昨年一年、おみちでは、「教祖百二十年祭の年」として、おぢばは毎月大勢の帰参者で湧き、なつかしく海外の方にも出逢い、意義深い年でありました。また、当教会の上にも、夫々のお立場でお勤め下さり、誠にありがとうございました。

 さて、本年、穏やかな元日を迎え、家族連れなどで賑やかに元旦祭の一日を勤めさせて頂きました。一月といえば、梅東分教会の二代、三代会長の祥月命日を迎える月でもあります。青山墓地に出向き、元日の報告を墓前で済ませ、五日には、上級の南海大教会へ足を運ばせて頂きました。

 大教会の屋敷内で見る光景は、世情で見聞きする数々の心痛む出来事とは異なり、親子、夫婦、兄弟姉妹、そして隣人への温かい思いやりの姿でした。「人を救ける心の涵養と実践」。本年もこの精神を持ち、次への塚へと向かって、陽気ぐらしへの努力につとめたいと思いつつの、うれしい光景でした。

 十一日の大教会春季大祭は、快晴に恵まれつとめられました。祭典終了後、大教会長様は講話の始めに参拝者の皆さんへ昨年の労をねぎらわれた後、本年、南海大教会の前身である「正明講」が結講されて百二十年を迎える年とお話され、十月の秋季大祭には、結講百二十周年をつとめさせて頂きたい旨を発表されました。

 明治二十年(一八八七年)九月、初代会長様が身上から親神様におてびきを頂いて、おぢば帰りされてより始まった南海の道。その理で繋いで頂いている私ども梅東分教会名称の理のこども達です。少しでも成人した姿を霊様方にご覧いただけるよう、今年一年もつとめさせて頂きたいと思います。
どうか宜しくお願い申し上げます。
【梅東】 H18-12 No.353 5 years ago
 今年も日めくり暦があとわずかな枚数となり、師走の気ぜわしさが感じられます。目まぐるしい一年の中で、おみちでは、新年早々、一月二十六日、「教祖百二十年祭」が厳かに、そして盛大に勤められました。年祭を迎えるに当たり、真柱様が「諭達」をもって、「人をたすける心の涵養と実践」を強く教友達にお示し下さいました。

 今年も一年が過ぎようとする今、振り返れば、悲しく残念なことに、社会に於きましては、折角の借り物である人間の命を粗末にしている事件があまりにも多発であったこと。「人をたすける心の涵養・・・」とは、正反対の動きですよね。

 筑波大学名誉教授で、科学者の村上和雄先生(天理教ようぼく)が講演会でお話の中に、「人間は推定六十兆の細胞からなっている。地球人口が六十数億で、私ども一人の身体の中には、地球人口の一万倍の小さな命が寄り集っているんです。細胞には命があります。・・・細胞同士が助け合わなければ臓器の働きはできない。・・・自律神経を動かしている遺伝子の中には「互いたてあいたすけあい」のための情報が入っていると思っております。」と、いのちの成り立ちについて分かり易く説いてくれています。「人間が生きているということはすごいことなんです。」とおっしゃっているとおり、貴重なものを親神様から借りている私達は、親神様のメッセージである思召に沿った生き方、即ち、私どもに与えてもらっている心の自由をつかって、一人でも多くの人が互いにたてあうことを隣人へと伝え広め、繋いで「命」の尊さ、大切さを伝えさせて頂く使命感を持って、新年に臨みたいと思います。

 紙面をお借りしまして、本年に賜りました皆様方への感謝を申し上げたいと存じます。まことにありがとうございました。
【梅東】 H18-11 No.352 5 years ago
 さわやかな秋晴れに恵まれた十月二十日、参拝の皆様方と共に立教にゆかりある秋季大祭を勤めさせて頂きました。当日は、当教会の世話人をおつとめ下さる伊藤光八先生(大教会役員信者詰所主任)の巡教を頂いての祭典日でした。

 坐りづとめ、十二下りのてをどり終了後、先生から神殿講話を頂戴いたしました。立教の元一日の意義を諄々と細かくお話下さってのち、先生御自身が、この度大変大きな身上障りとなられた事について伝えて下さる中に、経験を通された先生のお気持ちそのまま、身を病む人、心病む人の心情を赤裸々にお聞かせ下さいました。

 手術後、日月の経過も浅く、少し細身になられ、お疲れであろうと思われる中、心身込めて申されますのに、「保健所から恒例の検診の旨の通達が詰所に来ました。私も受けてみようと軽い気持ちで受診をしたところ、胃の部分に異常があるため再検査となり、結果思いもよらぬ「進行性胃ガン」と診断されました。耳を疑い驚愕したが、現実であり、七月六日、天理憩の家病院で胃を三分の二切除する手術を受けました。術後、これから先の病巣の進行具合を医師にいろいろ聞いたり、医学書を読んでみたり、自分の心と押し問答の日々でした。そんな中、『身は神の借りもの、心一つが我がもの』とお教え頂いております。不思議な救けを頂き、再び身上をお借りした今日であります。知らず識らずのうちに身についた埃を払い、陽気普請の用材としてお使い頂けるよう、生かされている瞬間を大切に前進したい」と力説され、参拝者一同、毎日健康が当たり前ではない、大きな大きな神様の御守護の世界に包まれているんだ、ということを強く夫々の心に刻ませて頂いたのでした。

いかなるのやまいとゆうてないけれど
みにさわりつく神のよふむき 四‐二十五

 身上は、私達一人ひとりの成人を願われる親神様の御慈愛の手引きと思案させて頂きましょう。
【梅東】 H18-10 No.351 5 years ago
 教祖百二十年祭の年も残りあと二ヶ月少々となりました。過る一月二十六日、教祖百二十年祭真柱様神殿講話で、「親里がおぢば帰りの人で賑わい、次への出発点の土台となる有意義な年となるように」と仰せ下さいました。

 年の初めより、世界各国から、支部や教会あるいは家族連れなど、大小さまざまな団参が相次ぐ中、梅東分教会の教友達も、一人ひとり深い思いを込めて、おぢば帰りをして下さっています。

 この月初め、忙しい仕事に追われる日々の中、やっと念願かなって一人静かに本部参拝できたその日の感想を語ってくれた婦人さんが居られます。

 長い廻廊を回り、神殿に入ろうとした時、見知らぬ方が「奥さん、どこかお具合悪いところありませんか。おさづけを取り次がせてください。」と声をかけられ、一瞬、、胸がドキッとした。考えてみれば、来る日も来る日も、元気で働いているよう思っているけれど、若く、優しい婦人さんに声をかけられて、「実は、尿管結石のため、時々痛みが出るんですよ。」と返事をしてしまい、本部神殿でおさづけをして頂いたとのこと。「その時は、なんとも言いようのない温かい気持ちが伝わってきて、忘れられないおぢば帰りとなりました。」と、とても嬉しそうに話してくれました。

 その場を離れられる時、ようぼく同志、お互い話もはずみ、若いその婦人の言葉から、不思議な縁を強く感じての帰郷となり、早々に家族に報告されたそうです。

 天理教教典第九章に「助けて頂いた喜びは、自ら外に向かって、人だすけの行為となり、ここに、人は、親神の望まれる陽気ぐらしへの普請の用材となる。これをようぼくと仰せられる。」と書かれております。

 ようぼく自ら、おぢばをにぎやかに!と前進させて頂きましょう。
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